5月の祭事・行事
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)

月日 5月3日 場所 下鴨神社 TEL 075-781-0010
※日程は毎年変更になります。十分にお確かめください。
◆流鏑馬神事の歴史◆

 流鏑馬は「やぶさめ」、あるいは「やぼさめ」と読みます。「矢伏射馬」とも書きます。『貞丈雅記』に「やぶせむまの略語なり』と、あるように、馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)を射ることです。
 下鴨神社では、流鏑馬とは云わずに「騎射(きしゃ)」と明治初年まで呼んでいました。この騎射が、いわゆる流鏑馬の原形です。その騎射の歴史は、『日本書紀』雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)即位 の年(457)に「騁射(うまゆみ)」をおこなった、とあります。また天武天皇(てんむてんのう)9年(682)、「長柄宮(ながらのみや)にて馬的射(むなまと)」ともあり、これもまた流鏑馬のことですから、古くから行われていたのがわかります。
 当神社では、境内の糺の森から古墳時代の馬具が出土しました。また、『続日本紀』に「文武天皇(もんむてんのう)2年(698)賀茂祭(葵祭)の日に民衆を集めて騎射を禁ず」とあり、葵祭の日の騎射に大勢の見物人が集まるため三度も禁止令が出るほど、有名になっていましたから、古くから行われていたことがうかがえます。
 後鳥羽上皇が、当神社へ御幸(みゆき)され、糺の森の馬場で「やぶさめをごらん」(『百錬抄』)になりました。この頃から騎射を流鏑馬と呼ばれるようになりましたが、葵祭の前儀流鏑馬神事は、儀式の最初の三馳を伝統によって騎射(きしゃ)と称し、作法や装束、用具などは古来からの法式によって近衛府(このえのつかさ)の大将が長官となり、近衛府の将監(じょう)や将曹(さかん)、馬寮(めりょう)の助(すけ)や允(じょう)、あるいは当神社の氏人が騎射を行います。その後で武家が狩装束を着け、流鏑馬を行うのが習となっています。
 文亀(ぶんき)2年(1502)、葵祭の路頭の儀が中絶したことによって騎射もまた中絶しました。神事は中断しましたが、武家は各地で流鏑馬として盛んに行うようになり、様々な流儀や作法が派生しました。
 元禄7年(1694)、葵祭が再興されたとき、騎射も伝統の作法により再興されました。ところが、明治2年(1869)東京遷都祈願行幸のときに行われた後、ふたたび中絶することにいたりました。
去る、昭和48年、下鴨神社式年遷宮の記念行事として、名称を流鏑馬神事と改め、100数年ぶりに復活しました。これを期に騎射の伝統を受け継いだ公卿の流鏑馬の保存を図るため糺の森流鏑馬神事等保存会を結成、小笠原弓馬術礼法宗家小笹原清志氏をはじめ、小笹原流同門会のご支援によって毎年5月3日に、葵祭の前儀、流鏑馬神事として騎射が行われています。

 
 
『京の名所案内』でも紹介しています
下鴨神社(賀茂御祖神社)
京都市左京区下鴨泉川町59番地0807
tel.075-781-0010

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