摂社疫神社の祭礼であり「夜須礼祭(やすらいまつり)」、「安良居祭(やすらいまつり)」ともいって歴史的に由緒深く、また民俗芸能上も重要な祭(民俗無形文化財指定)であって、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに「京の三奇祭」の一つとされてきた。また、この祭は京の祭のさきがけをなす祭でもあり、この日が晴(雨)だとその年の京の祭はすべつて晴(雨)と云い伝えられている。 「やすらい祭」は、往古三輪大神など疫神を鎮めるために営まれていた神祇官「鎮花祭」と、後に疫癘を攘うために営まれた「御霊会」とが結びついた民衆の中から生れた「花のまつり」である。すなわち、昔疫病というのは春の花の飛び交う頃に、疫神が分散して病を与え人を悩ますものだと信じられ、これを鎮めるため奈良朝の昔から花時に鎮花(はなしずめ)の祭儀を行っていた。一方人々は疫病除けの神として疫神を祀り、これを崇めこれに詣でて鎮疫安穏を祈願するのが習わしであり、平安建都以前から素盞鳴尊を祀った疫社(えやみ)があったといわれる。「紫野御霊会(むらさきのごりょうえ)」が修せられるようになった頃を契機として、鎮花祭の儀式に擬した形で風流を凝らし歌舞することによって疫神を浮かれさせて厄疫を鎮め、あわせて意気消沈した人たちの心を引き立たそうとする祭として盛んに行われるようになったのである。 祭礼当日の午前、神社では櫻椿を御幣に添えたものを本殿三座と摂社に供し、八つの饌(みやけ)(「八ッ膳」)という楕円形の赤飯を折敷に盛って西ノ座の「八神」に供える。午後になると近郊の各町々の人たちが夫々の町の光念寺などに集まり「練り衆」を整えて街々を練りながら今宮神社に向かう。午後三時頃神社に詣で、疫社殿、本殿の前で御幣を捧げ鎮疫祈願の後、笛や鉦・太鼓の囃子に合わせて「やすらい花や」と唱えながら踊り回る。これが「やすらい踊り」であり、「やすらい祭」というのはこの踊りで唱える歌詞の一連ごとの終わりに「やすらい花や」の囃子詞が(はやしことば)がついていることからでた呼び名で「安楽花の祭」とも呼ぶ。 |